自己紹介


 私は終戦後1年目に九州で生まれました。幼年時代は茨城で過ごし、7歳からの20年は東京っ子 でした。中学・高校とジェームス・ディーンに夢中で、彼と夢の中で話せたら、と英語の勉強にだけ真剣 に取り組みました。
 でも、大学では英語以外の外国語を専攻しました。英語は自分で勉強できるからです。 英語と作文だけで入れた、創立2年目の獨協大学の外国語学部には英語以外にはドイツ語しかありませんでした。 そんないいかげんな理由で始めたドイツ語だったのですが、その後40年にもわたって私の人生をこんなにも豊かにしてくれたのです。
 24歳ごろまでは、まだ英語のほうが好きで、大学3年の時に通訳案内(通訳ガイド)の国家試験に合格しました。 1970年の大阪万国博覧会で通訳ホステスになりました。ガイド試験もドイツ語でパスしました。 そして、本格的にドイツ語を勉強しようと東京外国語大学の大学院に入りました。
 東外大のシュタインベルク先生のサポートを受けて、 国費留学生として初めてドイツに行ったのが27歳のときです。 ボン大学、シュトゥットガルト大学に留学しました。 ガイド時代にできた、ドイツ各地の知人との交際を深め、生涯の友人たちとの出会いにも恵まれた2年間でした。  シュトゥットガルトの学生寮の隣人に画家の那須弘一(1947-2003)がいました。 紆余曲折を経て、二人が結婚したのは1978年のことでした。
 それから5年経ち、息子が生まれました。 吉正は9歳で帰国するまでドイツの幼稚園・小学校に通い、 (その頃の友達とは今も仲良しです)親子三人でそれは楽しい年月を過ごし、 そのままドイツに永住しようかと考えていました。  でも、1992年にJIUが開学し、私が助教授として招聘されたので、三人で帰国することになりました。 ドイツで働いた14年のうち6年間は日本語教師、あとの8年間は日系企業の通訳・翻訳だった私にとって、 二度とないチャンスだったからです。  夫は25歳で渡独、シュトゥットガルト美大卒業後、ドイツ芸術家協会に属するフリーの画家になりました 。コレクターが増え、ドイツ政府が作品を買ったこともあります。 才能にあふれ、愛情深くユーモアのある人柄で、多くの人々に愛されていました。  それなのに癌を患い、8ヶ月の闘病生活の後、2003年3月に旅立ってしまいました。後に多くの名作を遺して。 (リンク集:Japan Art, Unac, Spica)
日本の大学ではドイツ語を、ドイツの大学では日本語を教え、 日系企業では通訳だった私は、それなりにいい仕事をしてきたつもりです。 でも、夫の芸術にはかないません!芸術家として尊敬できる人をサポート できたことは、大きな誇りです。しかも、素敵な男性と愛し合うことのできた25年でした。
 その愛の結晶が一人息子です。20歳で父親と死別する不幸を乗り越えて、私を支えてくれるまで成長し ました。「ドイツ生まれの僕は、ドイツ語を専攻すべき」と自分で決めて、麗澤大学に行きました。卒業後 は、難関の国家試験に合格し、ドイツ語の通訳案内士になりました。そう、若き頃の私と同じです。2012 年1月には、横浜にあるドイツの会社に入りました。
 最高の息子に加えて、実は娘も二人いるのです!一人は愛犬レナ(2000年生)で、 とってもかわいくて、私たちは溺愛していました。でも、2015年4月12日にレナは「お父さん」のところに行ってしまいました。今頃、二人で天国を走り回っていることでしょう。   そして、2015年5月に吉正が結婚しました!お嫁さんは、なんと獨協大学のドイツ語科を卒業しました。私より40歳近く年下の後輩が那須家に来てくれたとは、ありがたくも不思議なご縁です。人生でめぐりあう人々やできごとは、見えない一本の糸でつながっているのですね。









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